国際情勢

なぜ中国は反日なのか?それは1980年代のある事件が原因だった。

なぜ中国は反日国家なのか?

日本の尖閣列島に連日のように領海侵入する中国。日本人は、これほどまでに中国が反日国家なのか理解できない。

しかし、中国の反日政策が始まったのは1980年代からで、1945年~1970年代の日中関係比較的良好だった。

中国が反日政策を取るようになったのは1980年代のある出来事からだった。

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中国の近代化の父は鄧小平

鄧小平(1904~1997年)は中国に改革開放路線が持ち込み、中国の近代化に大きく貢献した。

しかし、同時に、鄧小平は1989年の天安門事件を武力鎮圧した人物とも言われる。ある意味、鄧小平が反日国家「中国」の元を作ったとも言える。

1970年代の中国

文化大革命(1966年~1976年)、大躍進(1958年~1961年)など経済政策の失策で中国ではインテリ層が農村に追いやられ、数千万人~1億人以上が死亡したと言われる。

1970年代の中国は近代化とは無縁の国であった。そんな中、中国は旧ソ連と対立したため、政治的に日本やアメリカに接近した。

毛沢東(1893年~1976年)と周恩来(1898年~1976年)の死後、1977年に実権を握ったのは鄧小平であった。

彼は改革開放を唱え、日本に近代化の協力を要請してきた。

1980年代の中国

1981年、胡耀邦は中国共産党主席に就任、鄧小平趙紫陽首相と3人体制で中国の政治・軍事を掌握した。

胡耀邦は民主化を推進すると同時に親日政策を取った。ところが、この時期、日本の左翼系マスコミは、1985年の日本の中曽根首相の靖国参拝、1986年の日本の歴史教科書を問題化し、中国の反日勢力(保守派)に「ご注進」した。

その結果、胡耀邦は「中国の保守派」の巻き返しにより勢力を失いつつあった。そこで日本の外務省は中国の民主化を進める胡耀邦を支援するため、中曽根首相の靖国参拝中止した。

中国共産党保守派の立場から見れば、日本は「中国の民主化=(中国共産党の崩壊)」を画策している反中(反共産党)国家と判断された。

胡耀邦失脚の影響

1989年4月に胡耀邦が死去、彼の追悼集会が反政府デモに発展、1989年6月に天安門事件となった。

中国は4,000年間、権力闘争をしてきた国である。とにかく権力闘争に関しては敏感である。

日本が支援してきた胡耀邦が死去し、その直後に、大規模な反政府運動が起こった。中国共産党保守派の中には、天安門事件外国政府が関与し中国共産党政権を転覆させようとしたと疑う人間がいても不思議ではない。

中国の人民解放軍もデモ隊に融和的であったが、突然、デモ隊を排除する方向になった。これも外国政府が仕組んだデモ隊という認識に変わったとしたら、突然の人民解放軍の方向転換も説明がつく。

中国共産党の思惑

中国共産党は天安門事件後から激しい反日政策をとる。中国共産党政権への批判を日本に向けるためと言われる。同時に、日本政府が中国民主化を進めた胡耀邦を支援してきたことへの意趣返しの意味もある。

中国共産党首脳の立場から見れば、日本の首相が自分の在任期間中に靖国参拝することは、胡耀邦よりも自分を軽視していることになる。

つまり、「日本は胡耀邦の立場に配慮して靖国参拝を中止したのに、なぜ自分のときは、その配慮をしないのか」と。

日本の外務省の責任

日本の外務省は中国共産党の保守派と民主派の権力闘争のときに、中国の民主派に一方的に味方した。

しかも日本が支援した胡耀邦の死後、中国共産党政権転覆させるかもしれないような大規模な民主化デモが発生した。

中国共産党からみれば、「日本が中国共産党政権を打倒しようとしている」と感じた可能性がある。

なぜ反日中国に日本は経済支援したのか?

1974年、田中角栄首相(当時)の金脈問題が発覚し、日本の政治家は国内の公共事業関係者から政治献金を受け取りにくくなった。

そこで1980年からはじまった日本の対中国ODAを利用したと言われる。例えば日本から中国への1,000億円のODAがあると、その5%(50億円)が日本の政治家にキックバックされたと言われる。

中国の反日政策にも拘らず2013年までに総額3兆6553億円(うち円借款3兆3164億円)のODAが供与された。その5%がキックバックされたとすると約1,800億円になる。

よく「中国は日本からODAを受け取って感謝しない」という批判があるが、中国から見れば日本の政治家にキックバックした中国に感謝しろと思ってのかもしれない。

靖国参拝問題

現在、靖国カードは日本が持っている。日本の首相が靖国参拝すると、中国共産党主席は中国国内で批判される。だから、日本は首相が靖国参拝しないことで中国に政治的譲歩を引き出すことができる。

これ程度の駆け引きをしないと、中国政府相手にまともな外交はできない。

まとめ

中国が反日国家となったのは1980年代からだ。それは、日本政府が中国の民主化を進めた胡耀邦氏を支援したことが原因だ。

日本人から見れば「民主化」は100%正義だ。しかし、中国共産党の立場から見れば「中国の民主化」は中国共産党の崩壊を意味する。

中国での失脚は死を意味することもある。実際、胡耀邦氏は失脚して間もなく「死亡」した。中国の権力闘争は文字通り「命がけ」だ。

1 日本政府外務省が民主派の胡耀邦氏を支援した。

2 1905年の日露戦争で日本政府がロシア国内の反政府運動を支援した。

3 日本政府が支援した民主派の胡耀邦氏の死後、中国では天安門事件起こった。

4 天安門事件により中国共産党は崩壊寸前まで追い込まれた。

これらの事実から、中国共産党幹部が、「日本政府は中国共産党の転覆を謀った」と疑っていても不思議ではない。もし、天安門事件で民主派が勝利していたなら、中国共産党幹部は全員死刑になっていたかもしれない。

中国共産党幹部の立場から見れば、「日本は中国共産党幹部を死刑寸前まで追い込んだ」と反中国家ということになる。

これが中国共産党の激しい反日政策の原因だ。

日本人が「民主主義が正義」と思い込んで、親切心で中国の民主化を支援したことが、中国共産党には自分の命を脅かすほどの反中国行為と思われた。

逆の立場で言えば、中国が、「日本国内の天皇制を否定する民主派」を支援したとしたら、日本人は中国を日本の国家を転覆させようとした悪い国と思うだろう。それと同じことだ。

中国の命がけの権力闘争に安易に介入し、中国の民主派を支援した日本の外務省の責任は大きい。

中国は国家ではなく、中国共産党そのものだ。日中関係を立て直すには、1980年代からやり直し、中国共産党との関係を修復しない限り不可能だ。

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